法人名 福岡急行株式会社
略称 福急(ふっきゅう)
設立 1911年12月17日
業種 陸運業
事業内容 旅客鉄道業
資本金 3455億円
従業員数 25,806人
鉄道総営業キロ 1796.7km
軌道幅 1435mm
在籍車両編成数 544編成
在籍車両両数 3200両
自動改札設置率 95%以上
ホームドア設置駅 29駅

本社・支社・営業所所在地
本社・支社=主要都市の自社ビル内に入居している規模の大きなもの
営業所=準主要都市の自社・他社ビル内の1室に入居しているもの

本社:福岡市中央区天神
小倉支社:北九州市小倉北区室町
久留米支社:久留米市東町
佐賀支社:佐賀市中央本町
長崎支社:長崎市築町
佐世保支社:佐世保市島地町
熊本支社:熊本市水道町
宮崎支社:宮崎市錦本町
鹿児島支社:鹿児島市鴨池

広島支社:広島市中区紙屋町
岡山支社:岡山市中区表町
山口支社:山口市黄金町

東京支社:東京都新宿区西新宿
大阪支社:大阪市北区堂島

下関営業所・黒崎営業所・宗像営業所・行橋営業所・中津営業所

前原営業所・飯塚営業所・柳川営業所・八女営業所・鳥栖営業所

唐津営業所・諫早営業所・島原営業所・山鹿営業所・八代営業所

水俣営業所・人吉営業所・天草営業所・別府営業所・佐伯営業所

延岡営業所・日向営業所・日南営業所・都城営業所・川内営業所

出水営業所・指宿営業所・国分営業所・日置営業所・志布志営業所

鹿屋営業所・名瀬営業所・那覇営業所・名護営業所・沖縄市営業所

※これは全てフィクションです

福岡急行は、九州・西中国地方を走る大手私鉄である。積極的に路線を延伸することで有名であり、現在鉄道線20路線約1,800km近い路線を有していて、第2位の近畿日本鉄道に3倍以上の差をつけて日本最大の私鉄会社である。また、JR四国の営業距離を上回り、JR九州の営業距離と僅差である。以前は、下関〜熊本間の本線と、筑豊線、太宰府と甘木と福島の3支線を有する程度であったが、1981年にまず本線を山口まで延伸。さらに1980年代後半には熊本〜鹿児島の区間を急ピッチで開通させた。90年代には、長崎・大分・宮崎の各都市への路線も建設。1999年には、広島延伸を果たした。21世紀にはいってからは、博多線を地下化し、福岡空港へと延伸した。長崎線などと直通運転し、九州地方への観光客には非常に好評だ。2000年には、北九州・福岡近郊の複々線化工事が始まり、2014年には門司港レトロ駅〜久留米駅の長大複々線区間が完成する予定である。2006年には北九州空港の移転に伴い、北九州空港線を開業。さらに、2008年には博多線を志免・須恵のベッドタウンまで延伸し、ふくおか線と改称。また、新たに福岡空港国際線ターミナルにも駅を設置した。これにより、福岡市営地下鉄の利用者は減少傾向にある。現在も、大分線の延伸・日向灘線・人吉線・津和野線の工事が進められている。

積極的な高架化や地下化などで極力踏切を減らし、そうでない区間も立体交差にしてあるところが多い。そのため、事故が少ない優良な鉄道との評価も受けている。たとえば、福岡・北九州近郊では数十kmにも及ぶ距離の高架が続いており、さらには中小都市の中心駅付近も高架である場合が多い。地下化も広島・長崎・熊本・鹿児島の区間で施されており、駅直結の地下街を運営している。

設備面でも、自動券売機・自動改札がほとんどの駅に設置されている。福岡急行の自動改札は比較的早く、1981年の山口延伸と同時に、山口・宇部・下関・門司・小倉・黒崎・天神・大橋・二日市・久留米・柳川・新栄町・荒尾・山鹿・菊池・熊本の主要駅に設置した。その後、鹿児島延伸の際にほとんどの駅に自動改札を設置。90年代に開通した路線には、はじめからほとんどの駅に自動改札が設置された。また、ホームドアも2001年より主要駅に設置を開始し、現在29駅にホームドアが設置されている。

ついにJR九州衰退か
近年、福岡急行の影響を受けてJR九州路線の廃止・第3セクター化が検討されている。
・久大本線 →2011/1/1付けで 第3セクター「ゆふ豊筑鉄道」へ移管
・筑豊本線原田線→福岡急行へ移管検討中
・後藤寺線→福岡急行へ移管または廃止検討
・三角線→廃止検討

福岡急行年表

1911年 門司電気軌道として設立
  本線 門司〜枝光間開業
1912年 本線 門司港〜門司,枝光〜黒崎間開業
1914年 本線 黒崎〜本城間開業
1919年 本線 本城〜芦屋間開業
1921年 本線 芦屋〜宮地岳間開業
1922年 本線 宮地岳〜天神間開業
1923年 福岡電鉄に改称
1924年 本線 天神〜久留米間開業
1925年 甘木線 宮の陣〜甘木間開業 単線で開業
1927年 太宰府線 二日市〜太宰府間開業
門司港〜本城間を鉄道法準拠の路線に変更
1928年 福島線 日吉町〜八女福島間開業 単線で開業
1932年 本線 久留米〜津福間開業 単線で開業

長崎線 天神〜姪浜間開業
1937年 本線 津福〜柳川間開業 単線で開業
1938年 本線 柳川〜新栄町間開業 単線で開業
1939年 本線 新栄町〜大牟田間開業 単線で開業
1941年 本線 大牟田〜荒尾間開業 単線で開業
1946年 本線 荒尾〜山鹿間開業
1949年 本線 山鹿〜菊池間開業 単線で開業
1951年 本線 久留米-試験場前間複線化
1956年 福北線 黒崎〜中間間開業
1958年 八女福島線を専用軌道化・複線化
1959年 福北線 中間〜直方間開業
1960年 本線 倉永-銀水間複線化
1961年 本線 栄町-荒尾間複線化
本線 福岡駅前後高架化
1963年 福北線 直方〜飯塚間開業
本線 小倉駅前後を高架化
1964年 ふくおか東線 天神〜博多間開業
1965年 本線 開-倉永間複線化
1966年 大川線 柳川〜佐賀間開業
  山陽電気軌道買収
1967年 本線・上熊本線 熊本電気鉄道買収・改軌
  福北線 飯塚〜千鳥橋間開業
本線 大善寺-三潴、大溝-蒲池間複線化
1969年 本線 山鹿〜菊池間複線化
  本線 久留米駅付近高架化
1971年 本線 藤崎宮前〜熊本間開業
1973年 本線 門司港〜下関間開業
1975年  本線 菊池〜藤崎宮前複線化
1978年 本線 平尾〜大橋駅間高架化
1981年 本線 下関〜山口間開業
  主要16駅に自動改札設置
1985年 本線 熊本〜八代間開業

北九州線 若松〜企救丘間開業
1988年 本線 八代〜薩摩川内間開業 単線で開業
1989年 本線 薩摩川内〜鹿児島間開業 
1990年 長崎線 姪浜〜唐津間開業

天草線 宇城〜天草本渡間開業 単線で開業
1991年 ふくおか東線 博多〜福岡空港間開業
  天草線 天草本渡〜牛深間開業
  本線 八代〜出水間複線化
1993年 大分線 小倉〜大分間開業
  本線 出水〜薩摩川内間複線化
1994年 長崎線 唐津〜佐世保間開業
1995年 本線 福岡駅〜平尾駅間高架化
1996年 宮崎線 出水〜宮崎間開業
1997年 長崎線 佐世保〜長崎間開業
本線 試験場前-大善寺、蒲池-開間複線化
1998年 玉名線 西荒尾〜宇城松橋間開業 玉名〜宇城松橋間単線で開業
1999年 本線 山口〜広島間開業

鳥栖線 小郡〜鳥栖間開業
2000年 佐賀線 大善寺〜佐賀間開業
  本線 門司港レトロ〜黒崎間複々線化
2001年 日田線 筑紫〜日田間開業
広島・下関・小倉・天神・長崎・久留米・新栄町・熊本・鹿児島駅にホームドア設置
2002年 日田線 日田〜別府温泉間開業
2004年 阿蘇線 菊池〜阿蘇間開業 単線で開業
主要駅にホームドア設置
  本線 香椎〜二日市間複々線化
  本線 久留米〜試験場前間高架化
2006年 北九州空港線 苅田〜北九州間開業

鳥栖線 鳥栖〜新鳥栖間開業
2007年 阿蘇線 阿蘇〜由布院温泉間開業 単線で開業
2008年 ふくおか東線 福岡空港〜須恵間開業
2009年
日田線 由布院温泉-別府温泉間複線化
  本線 二日市〜久留米間複々線化
2010年 本線 香椎〜宗像(赤間)間複々線化
これからの予定
2011年 大分線 大分〜佐伯間開業予定
2012年 日向灘線 日向〜日南間開業予定

人吉線 八代〜人吉間開業予定
2013年 津和野線 山陽小野田〜津和野間開業予定
2014年 本線 宗像(赤間)〜黒崎間複々線化予定

九州北端のインターアーバン
時は20世紀初期。当時、八幡製鉄所の設置で工業化の進んだ八幡市・貿易港として栄えた門司市などの存在する九州北端の地。そこには、インターアーバン (都市間高速電車)の敷設が計画された。こういう背景の下に門司電気軌道として設立された。1911年に、門司から八幡製鉄所近くの枝光までが開通。翌 年、港方面の門司港まで延伸。八幡側も、商業地黒崎まで延伸。そして2年後の1914年、若松への延伸を前提とした本城へと延伸開業。その後、インター アーバンとしての若松延伸・九州の中心へと急速に発展しつつあった福岡への延伸の2派に社内が割れ、しばらく延伸工事がとまる状況へと陥る。1917年、 話し合いの結果、将来性の高い福岡への延伸が決定。1919年、その布石として遠賀川対岸の芦屋へと延伸。ところで、なぜ急カーブをつくってまで芦屋へ延 伸したのだろうか?それは、若松延伸派の妥協案として若松に近い芦屋を通すことにしたからである。その時点で、福岡側では福岡延伸派が秘密裏に工事をほぼ 完成させていた。福岡延伸決定から、わずか5年で福岡まで開通させたのだ。

本格的電気鉄道として
福岡延伸後、門司軌道は福岡電鉄と改称。そして、併用軌道であった門司〜枝光間を専用軌道化して高速化を図る。翌年には、ゴム工業で栄えつつあった、県南 の久留米市まで延伸。さらに、1925年には甘木電鉄を買収。そして工事中の八女線を引き継いで、そのまま工事を継続して、1927年に開業。門司港〜八 女の直通列車を通すために、当初の計画を変更して八女線を1500Vで開業した。と同時に、軌道法準拠の鉄道であった門司港〜本城間を鉄道法準拠に変更。 これで、更なる高速走行が可能になった。しかし、炭都として栄える大牟田への延伸は不可欠として、久留米〜津福間が延伸。さらに、福岡市内の需要を取り込 むべく天神〜姪浜までを開業。その後、1937年には柳川までが延伸された。翌年、大牟田・栄町までが開業。と同時に、八女発着だった特急列車のほとんど が大牟田発着に。その翌年には、大牟田市の中心部に到達。2年後には、荒尾市までが開業。戦争の資材不足のため、それからの延伸は戦後になる。

炭田地帯へ・熊本へ
戦後、更なる発展のために熊本市方面への延伸を決意。まずは、温泉地として栄える山鹿までを開業。久留米から荒尾までの区間が単線であったにもかかわらず 複線であるという、福急の意欲が見える区間である。3年後、菊池電車の駅に隣接する形で単線で菊池へと延伸。菊池電車と対面で乗り換えることによって、私鉄のみで熊本へ向かうことが可能になった。一方、炭田地帯として当時栄えていた筑豊方面への路線も計画されていた。1956年に、黒崎から分岐する形で、 中間までが開通。3年後、直方まで延伸。そのころすでに、石炭産業の斜陽化が始まっていたが、海岸側の本線と、利用者を分散するという目的の判断が下され たため、そのまま工事が続けられた。1958年には、筑豊・熊本方面の工事の大プロジェクトの中に埋もれてしまったが、国道3号の改良工事により、八女へ 伸びる八女福島線の軌道の撤去を求められた。そのため、福岡急行では八女福島線の専用軌道化・複線化・昇圧を行い、軌道から鉄道へと大きく変えた。その後 には、筑豊の中心都市飯塚への延伸を果たす。その前後に、設備改良が行われた。戦前戦後に作られた、大牟田近辺の区間の複線化が行われ、急行の退避待ちが減少し大幅に高速化。また、福岡駅・小倉駅の前後の区間が立体交差化。天神・小倉市街地の渋滞が緩和された。また、そのころバスの定時性が、モーターリゼーションにより狂い始めた。特に、ドル箱路線であった天神-博多ルートは、定時性が悪くなることで赤字に転落するほど深刻となった。そのため、当時の地 方都市としては考えられない地下線で天神-博多間に路線を開業させた。これが後の、ふくおか東線のもとである。筑後地方でも、1966年に大川鉄道が正式 に廃止されたため、大川線を開業。大川鉄道線と違い、柳川より分岐して佐賀市街まで直行可能。そのため、柳川・大川と佐賀の交流が盛んになる。同じ年に は、下関の山陽電気軌道を買収、下関市内線として運行開始。これは、当時の日本道路公団に認められた、福岡急行の関門橋の使用を見越してのことだった。翌 年には、熊本電鉄を買収。改軌して、門司から熊本の藤崎宮前駅までが一本につながった。と同時に、特急ひのくに号が運行開始された。全線を3時間15分で 結んだ。筑豊方面も、黒崎から千鳥橋までの全線が開通した。また、その後熊本の繁華街の地下を、交通センターまで延伸。これにより、北九州・福岡・熊本の 九州三大都市の中心部を直結した大ネットワークの完成である。

失われし路面電車網
かつて福岡急行は福岡・大分・熊本・佐賀・唐津・久留米・日田・甘木など14の都市に200kmを超える路面電車網を持っていた。それら路面電車は1960年代から1970年代にモータリゼーションとともに失われてしまった。たとえば最盛期に連接車が毎時15本走っていた福岡市内線でさえも、1979年に廃止されてしまった。また、久留米から日田までを結んでいた豆田線という超巨大路線も、窮屈な道路を占領するなとの住民の声に負けて廃止された。このような路面電車網は福岡急行に見られた栄枯盛衰である。現在残っているのは、福岡市内線環状南線となっていた路線と熊本市内線東西線、それに下関市内線のみである。200kmを超えた路面電車網も現在では60kmあまりである。

本州・鹿児島への巨大ネットワーク
1973年には、関門橋の開通により下関まで本線が延伸されて、本州進出を果たす。すでに買収していた、下関市内線の存在により、福岡急行のイメージが定 着した下関市民には、喜んで利用してもらえた。それを基にして、1981年には山口へと延伸。福岡急行の特急は、天神発着となり熊本行きのひのくに号と北 九州および山口行きのひびき号に分けられた。山口延伸時に、主要な駅に自動改札機を設置。1985年には本線を、県南の八代まで延伸。また、北九州市内 に、北九州線を開業し、若戸大橋を渡り、小倉南区の住宅地の企救丘までを、全線高架または地下で結んだ。1988年には、川内市(現・薩摩川内市)まで を、翌年には鹿児島までの全線を異例な速さで開業させた。

九州各地へ
1990年には、戦前から手のつけられることがなく、市営地下鉄に利用者を奪われた天神〜姪浜を、高架化(天神側では地下)し、市営地下鉄・筑肥線に対抗 すべく、まず唐津まで延伸。観光路線にも力を入れ始めた。松橋から分岐して、天草に至る路線を開業。特急が出される。そして、天神-博多を結んでいた、博 多線を福岡空港まで延伸。市営地下鉄よりも早い時期に開業したこと、長崎方面への延伸工事がすでに行われていたことにより、長崎直通予定を謳っていたこと で、市営地下鉄の予定利用者を大幅下方修正させた。天草方面も、需要が見込めないという反対をおしきって、牛深へ延伸。天草〜牛深の区間は駅などの設備は 最低限に抑えられた。また、そのころ本線の複線化も急ピッチで進められ、1997年に全区間が複線化。93年に小倉〜大分間が開業し、96年には、出水か ら分岐して宮崎へ至る路線も開業。97年長崎方面へ全通し、98年には有明海沿岸を通る、玉名線が開業。

広島へ
九州各地への路線整備が進んでいたそのころ持ち上がったのは、広島延伸である。山口方面の利用者が低調なままなので、中国地方最大の都市広島へと延伸が計画された。山口から徳地を抜け、徳山を通り、山陽本線に併走するような形で広島まで。広島市街は地下線が採用された。しかし、揉めたのは広島側のターミナ ルだ。JRの広島駅に併設する・宇品方面などさまざまな案が持ち上がったが、最終的に採用されたのは、アストラムラインの開業などで中心化した紙屋町に決 まった。

更なる九州ネットワーク
広島延伸後、JRの客を取り込むため鳥栖まで支線を建設、鳥栖駅に直結。さらに、九州新幹線との接続も見据えて新鳥栖駅前まで延伸。JR九州はこの路線の建設に猛反対したものの、福岡急行がJR九州に対して毎年一定の金額を払うということで折り合いがつき開業。しかし、長崎方面のかもめ・みどり・ハウステンボスから接続するような形で列車を出し、しかも天神直通を謳ったため博多〜鳥栖間の長崎本線方面の特急の利用者は激減。さらに、新幹線利用者に対しても連絡バスを利用するよう呼びかけ。現在、新鳥栖駅前から佐賀・久留米方面へバスが出ている。

広がる中国地方へ
今後、鳥取・岡山方面への延伸が検討されている。さらに、萩・長門・津和野方面への工事も進行中。鳥取・岡山方面へは、まず広島のベッドタウンとなっている東広島市までを第1期で予定している。また、近年中国地方内の長距離バス路線網が大幅に増発・新設された。このように現在では中国地方への進出も積極的だ。

ホームドア設置駅
・広島(紙屋)駅〜佐伯五日市駅の各駅
・山口駅
・下関市駅
・門司港レトロ駅
・小倉(魚町)駅
・黒崎駅
・香椎駅
・福岡(天神)駅
・薬院駅
・博多駅
・西新駅
・中洲駅
・福岡空港駅
・空港国際線駅
・大橋駅
・二日市駅
・久留米駅
・新栄町駅
・佐賀駅
・長崎(浜町)駅
・佐世保駅
・大分駅
・別府駅
・黒髪町駅〜熊本駅前駅の各駅
・鹿児島中央駅前駅〜鹿児島天文館駅の各駅

ホームドア設置予定駅
・徳山駅
・若松駅
・戸畑駅
・八幡駅
・平和通駅
・旦過駅
・宗像(赤間)駅
・櫛田上川端駅
・春日原駅
・柳川駅
・大牟田駅
・宮崎駅
・出水駅